代表取締役 桑原正二
1968年(昭和43年)~ 桑原正二と恩地食品株式会社・恩地稔留会長(故人)との出会い。
大阪の食品メーカー恩地製麺有限会社(現恩地食品株式会社)の配達請負から事業をスタート。創業者の桑原正二がトラック1台で工場に常駐し、恩地稔留会長(故人)に仕事の手ほどきを受け、配達はもちろん伝票整理や電話対応などの業務にあたった。時間を厭わず何でもこなす桑原は「便利屋」と重宝され、会長からの信頼も厚く多くの仕事を任されるようになった。恩地製麺の事業の拡大もあって仕事量は右肩上がり。配達を通じて他メーカーとの知り合いも増えていった。1978年(昭和53年)~ 複数メーカーの商品を運ぶ共同配送事業のスタート。
恩地製麺の仕事量の増加に加え、恩地会長の口ききがあって他の食品メーカーからも「一緒に配達してほしい」との依頼が入るようになった。そのため、一般貨物自動車運送業(青ナンバー)を取得して社員も増やし、法人化して本格的に事業を展開した。日配商品は小口でも毎日依頼があり、配送先も多い。単価が小さく面倒な業務も多いが、荷積みやルートを工夫すれば利益を上げることができる。食品の共同配送事業という桑原サービスのビジネスモデルがスタートした。1993年(平成5年)~ 大手食品会社との取引で事業規模が飛躍的に拡大。
3温度帯の食品を少量多品種・24時間365日配送するという業態は競合も少なく、取引先も少しずつ増えていく中、大手食品会社との取引が始まった。当時、その食品会社が抱えていた白ナンバーのトラックも桑原サービスが吸収したこともあり、事業規模が一気に拡大。平成9年には冷蔵設備のある高槻車庫を借りて、商品の仕分を行うセンター業務も本格的に実施した。社長が過労で倒れるほど、会社は多忙を極めた。2000年(平成12年)~ 多メーカー取引による安定経営へ。
大手食品会社との取引は8年ほどで終了したが、営業を強化したことで業績は向上。高槻倉庫では手狭になり、近くに高槻センターを開設した。しかし、2008年のリーマンショックの影響で大口の取引先メーカーの業績が悪化。入金が遅れることに危機感が募るも「配送を止めたら荷受先など他の会社も困る」と取引を続けた。最終的にこのメーカーは倒産し当社も経営危機に陥るが、民事再生でメーカーを買い取った会社が当社の対応を評価して取引が復活した。この危機をふまえて、大口の取引先に頼るのではなくより多くの取引先を抱えることで経営の安定化を図る。2009年(平成21年)~ 摂津センターからさらなる発展へ。
取引先が増えるにつれて高槻センターでは手狭になり、より広い場所を求めて2009年に摂津センターに移転。仕事量は増えていく反面、デフレの影響などもあって売上が減少した時期もあったが、社内の組織改革を行い、配送システムの効率化をすすめることで業績を向上させた。社会情勢や産業構造の変化で取引先や配送先も変わっていくが、少量多品種を共同配送するという独自のビジネススタイルと誠実で丁寧な仕事ぶりが評価され、取引先は80社超え。2017年には摂津センターの業務スペースも拡大し、経営基盤の安定化と事業のさらなる発展を目指す。